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日経新聞

わたし我慢していました。

2022年12月9日(金)
日経新聞朝刊(春秋)
「条件反射の研究で知られる生理学者のパブロフは犬を使って実験をしているとき、思わぬ障害につまずいた」

いつも春秋がおもしろい。
中国のゼロコロナ方針について揶揄するものだが、自由について考えさせられる。

引用
「条件反射の研究で知られる生理学者のパブロフは犬を使って実験をしているとき、思わぬ障害につまずいた。実験机の台に乗せ、足にゆるい輪をはめてみたところ、時間がたつにつれて興奮し、逃げようとして暴れ出した。これがずっと続き、実験をいったん中断した。」

「『たいへん単純なことで自由を求める反射である』(「大脳半球の働きについての講義」)。

とあった。
自由を求めることは、本能に近いのだろうか。
小さい頃から与えられたことがなかったらそれを知らなくても暴れるのだろうか。自由ではないことに気づかないこともあるのではないかと少し考えた。

先月、引っ越しをしたのだが、引っ越しをしてみて初めて、自分が我慢していたことに気付いたりする。
これは離婚や同居の解消の際にもあると思うのだけど、1人になってみて「あれ、わたしこれ好きだったなぁ」と急に思い出したりして、知らず知らず、我慢していたことに気付く。
人間は社会的な動物だから、皆こういうことがあると思うが、なんかもったいない気もする。好きなものを我慢するという点で。

パブロフの実験で、犬に教え込んだ条件反射が消えてしまったエピソードがある。以前「マインドコントロール(岡田尊司著)」で読んだ気がする。
ロシアで大規模な洪水が発生し、パブロフが実験で使用していた犬のケージがある実験室まで水が迫り、犬が溺死しかけ、ギリギリのところで救助した。
すると、それまで条件づけで獲得されていた犬の条件反射(反応)が変化したり消滅してしまったというもの。

「命からがら」のような経験するとそれまでの経験などから得た思い込み等が吹っ飛ぶのかなぁと思った。
命からがら体験は全く望んでないが。
ただ、引っ越しくらいのインパクトが、時々人生にあると、自分が自分を羽交い締めにしていることに気付くきっかけになるかもしれい。
わたしには向いてないとか、わたしはそれを好きじゃないとか、わたしにはできないとか、そういうもの。これも自由とは対極にあるものだと思う。