2022年12月11日(日)日経新聞
「#教育水準向上で認知症抑制」
学びに価値、社会で備え(科学の絶景)
高い教育水準が認知症を抑える…かもしれないという記事。データから明るみに出たのは、20代までの学習期間や生涯を通して学ぶ意欲の大切さだという。
記事にもあるとおり、「教育問題を口にするのは社会的な影響が大きく、声を上げにくい」。学習の機会は、家庭の経済的事情にも大きく影響され、平等ではない。ただ、学習の重要性を裏づける証拠が増えてきて、そうも言ってられなくなったようだ。
「年を重ねるとどんな病気や機能低下が生じるか」をコンピューターで探った分析で、日本人の認知症を患う人は、34年に減っていた。高い教育水準が認知症を抑える期待が見えてきたという。
引用
「人口の増加と高齢化で認知症の人は身近になるが、人々が認知症になりやすくなるわけではない。
真の有病率は先進国ではむしろ下がってきたとみる。」
「実は『学習の大切さは半ば常識だ』と打ち明けるこの分野の専門家は多い。
論文には何年も前から、思春期を含む年代の学習期間の短さが高血圧や鬱などと共に危険因子にあがる。」
(米ランド研究所のピーター・フドミエット氏ら)
とあった。
もちろん、高学歴でも、喫煙習慣、高血圧、糖尿病など不利に働くし、教育歴が全てではないようだが、エビデンスがいろいろ出てきて公表され始めた。
最近、どう「認知」するかということにとても興味がある。
この世の中をどう見るのかということにもなると思うけれど、人の決定や判断は、無意識の認知活動によってされるという。
判断だけでなく、どんな感情を持つかということも、認知によって大きく変わる。
認知は自分が育んできた、素地によってされるし、認知自体を変えることは容易ではないと想像できる。
認知(ものの考え方や受けとり方)に働きかけることによって精神疾患を治療する認知療法もあるくらいだ。
とくに精神病ではなくても、認知を変えるには自分の固定概念に気付き、それを取り払う必要があるだろう。それには、思考力や読解力を身に付ける教育が必要であるだろうと思うのだ。
私たちの小さな悩みは、社会学などで研究されて、言語化されていくつかの解が示されていると思う。
上野千鶴子さんの「個人的なことは社会的なこと」は有名だが、そのような知識や情報にたどり着くための知恵や習慣を教育で得られた人と得られなかった人とでは、その後の健康(肉体も精神も)に大きな差ができてしまうのではないかと感じた。