平成15年3月に大阪あべの辻製菓専門学校を卒業後、パティシエを志すも就職氷河期などが重なり、フリーターとして、洋菓子店、パン屋さん、カフェなどを転々としていました。
どの職場も今となっては最低賃金を下回り、重労働でした。
当時、派遣という働き方が登場し、とりあえず登録するとパソコン操作などの無料教室を開催している派遣会社がありました。そこでパソコンの操作方法を学びました。派遣会社には数社登録。今は無きグッドウィルにも登録していたことを覚えています。
日雇い派遣で工場での検品や倉庫でのピッキング等をしましたが、工場に向かう途中、同一賃金等待遇改善を求めるビラ配りの女性の集団に遭遇することがありました。多くは、大企業に勤めた人。これもまた世界が違うなと感じていました。
大阪の不景気はひどかった気がします。自分が弱い立場であったからそう感じたのかもしれません。
貯金もないし、家庭もないし、時には仕事もない…。
そんななかで、20代の中盤から司法書士の勉強を始め、2年後に合格しました。
予備校の早稲田セミナー(現在はTACに吸収)に通っていました。講師の先生が良くて、同じクラスの受講生とゼミをして、楽しくて、運も良かった。
ただ、合格後、様々な問題が発生。大阪から地元である愛知へUターンします。
士業は登録しなければ仕事できませんが、登録することはいったん断念し、法律事務所で弁護士の下、パラリーガルとして働きました。合格後に職業訓練でMicrosoft office specialistを取得していたことが役立ちました。
ちょうど民主党政権に交代したときで、職業訓練制度が変更されるのではないかとハラハラしていたことを思い出します。
5年後、これ以上いても自分がすり減るだけだと感じ、外資の保険会社に転職しました。金融の勉強は面白く、法人保険や外貨建て保険の仕組みを学び、相続法や税務について実務的なことをここでたくさん学びました。生命保険販売の資格を取得する中で、保険大学4科目も取得していきました。
また、営業車を購入し、名古屋の街に詳しくなりました。
転職して1年目、3回目の受験で中小企業診断士1次試験を通過し、そのまま2次試験にも合格。ここで出会った人たちも、とてもよかった。
保険会社は、自由で先輩にも恵まれたものの、営業という仕事に向かないことに直面。成績は上がらず、とてもしんどかった。体も壊しました。
3年後、すいぶん前に知り合った司法書士の先生が独立した事務所に誘われ、転職しました。
司法書士・中小企業診断士の登録を経て、現在に至ります。
19歳で大阪の街に放り出されるように社会人デビューとなりましたが、当時の小泉内閣が進める規制緩和により、新自由主義の傾向が強くなっていった時期だと思います。
何も知らず、何も持たず、それでも今とても幸せに生きていられるのは、学んできたからだと思います。運がよかったとしか言いようのない出来事もありましたが。
そろそろ40代が見えてきて、ブログのような形で自分の学びについてデータベースを作れたらと思い開設したしだいです。